6才でバスに轢かれて、足の指を2本 切断しました。産前・産後ケアを始めるまでの道のり(^O^)

衝撃的なタイトルでびっくりさせてしまってすみません💦

 

どうして作業療法士という

国家資格まで取得し安定した生活を送っていた私

独立・開業して、

産前・産後ケアを始めることになったのか。。

 

そのお話をさせていただくためには、

どうしても、この事故のことを知ってもらいたい

と思ったのです。

この事故から、私のセラピスト人生は始まりました。

 

pirikamamu

 

 

 

小学校1年生の3月。

当時は横浜に住んでいたのですが、

学校へ行く途中には、大きな駅のバスターミナル。

そこに信号機のない横断歩道がありました。

 

朝の通勤ラッシュでバスは満員。

よそ見をしていた私は、

右側から近づくバスに気がつきませんでした。

 

ドンっ!という衝撃の後、倒れこみ

気がつくと

バスの前輪に、右足を轢かれていました。

 

バスに乗っていたお客さんが

『子供が!子供が!』と叫び、

運転手さんに知らせてくれたようです。

全身を巻き込まれずに済みました。

 

後一秒、家を出るのが遅かったら・・・

確実に命を落としていた。そんな大事故でした。

 

もう20年以上も前の事なのに、今でも当時の記憶は鮮明に覚えているし、

あの時の空気感、家をでる前に家族と交わした会話、すべて覚えています。

 

救急車には、当時妹を妊娠中だった母が乗ってくれました。

当時、母は臨月。そんな時に6才の娘が事故に遭うなんて!

私なら絶対に耐えられません。

本当に強い母親だと思います。

 

病院へ着き、手術を受け

目覚めるともう夕方。

担任の先生や家族、おじいちゃんおばあちゃん

たくさんの人が私の事を心配そうに見ていました。

足は全然痛くありませんでした。

 

熱で頭の中が朦朧とする中、

何日も、幻覚・幻聴が聞こえました。

病室のカーテンがバスの大きなタイヤに見えて、

すごいスピードでこちらに迫ってくる映像が見えました。

『轢かれる!!』と何度もナースコールを押しました。

 

事故から数日経ちましたが、

結局、足の指の血流が改善せず、

二回目の手術で

親指・人差し指の二本を切断することになりました。

 

その後、高校を卒業する頃までに

成長に合わせて、骨を削る手術や

皮膚移植を何回もしました。

 

背中の大部分の皮膚を、足に移植しました。

お腹の皮膚も、移植しました。

今も、背中もお腹も大きな傷が残っています。

 

でも・・・

こんなに大きな事故にあって、大変な怪我をした私なんですが

 

この事故があったから、セラピストになれました。

 

小さい頃から月に一度、病院に通っていたこともあり、

病院に行くのが当たり前。

いつからか病院の仕事に憧れるようになりました。

 

高校生の時、そのことを主治医の先生に話すと

『リハビリも見学していく?』と。

先生はすぐにリハスタッッフに連絡をして下さいました。

 

そこで見学した作業療法

 

一人の患者さんに寄り添い、

元のように、生活を送れるために一緒にリハビリを行う

そんな様子を見て、作業療法士を目指すようになりました。

 

 

そしてもう一つ、

病院に通っていたおかげで得られたこと。それは、

人としての優しさを学ぶことが出来たことです。

 

『障がいがある人もいる』こと、

『みんな平等』であること、

そして、みんなが暮らしやすい世の中を作る必要があること

小学生の時からずっと感じていました。

 

根底にある思いは

『みんなが安心して、安全に暮らせる世の中を作りたい』ということ。

 

バリアフリーといっても、都会でも駅の裏側は段差だらけ。

世間の人が障がいがある方を見る目は、

今も冷たいと感じることがあります。

小さい頃からそういう所を見てきました。

 

のちに、妊娠・出産・産後を経験し、

障がいのある方だけではなく、

妊婦さんや子連れのお母さんの

生活のしにくさに驚きますが、

 

根底にこの

『みんなが安心して、安全に暮らせる世の中を作りたい』

という思いがあったから、

産前・産後のケアにも繋がっているのだと思います。

 

『子供が事故に遭った』

と聞くと、すごく辛く、悲しいことのように思えますが

実際は、そんなことないんじゃないかなと思います。

 

確かにその時は家族や周りの人はとっても大変。

私自身も『可哀想ね。』と言われたし、

合う靴が全然なくて、傷をたくさん作ったし、

はた目から見ると、可哀想だったかもしれません。

 

でも当の本人は、実はそんなに気にしていなくて。

合う靴がなければ、自分でクッションを詰めてヒールを履きました。

足の怪我を理由に何かを諦めるなんて、全く考えていなかったので、

縄跳び、バスケ、ダンス、ヨサコイ。

やりたいことは何でも挑戦しました。

 

足の指は2本失ったけど、

代わりに得たものは、計り知れないほど大きいものでした。

 

長くなってしまいましたが、交通事故の話はこれで終わります。

いい感じに締めくくりましたが、

本当はすごくワガママで自分勝手な私です(*^^*)

 

これから数日に分けて、ちょっとずつ

産前・産後ケアを始めるまでの経緯をお伝えしたいなと思うので、

よかったら読んでやってください(*^^*)🎵

 

長い文章をお読みいただき、ありがとうございました✨